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2005年02月19日
★『SHAKESPEARE'S R&J』
(2/17観劇)
<脚色・演出>
JOE CALARCO
<出演>
首藤康之・佐藤隆太・小林高鹿・浦井健治
<公演>
2005年2月1日~3月10日
<ストーリー>
舞台は厳格なカソリック系の全寮制男子校。勉強、懺悔、夕べの祈り・・・生徒は行動のすべてを厳しい規律でがんじがらめにされており、道徳を乱すものは一切禁止。ここではシェイクスピアの戯曲さえ、その禁止項目のひとつとされていた。
だが、いつの時代でも「禁止」こそが欲望を駆り立てるもの。単調で禁欲的な毎日に飽き飽きした4人の生徒たちは、消灯後、密かに『ロミオとジュリエット』のリーディングを始める。
敵対するふたつの家に生まれた、少年と少女に訪れた運命的な出会いと恋。理屈など越えた激しい感情が渦巻く『ロミオとジュリエット』の世界は、同じように抑圧された状況にあって、多感な時期の不安とエネルギーを持て余す学生たちの心にぴたりと重なる。すぐに夢中になった彼らは読むだけでは飽き足らず、寮を抜け出して実際に演じ始めるのだった。さまざまな役を演じるうち、彼らは自分の中にあることを気づきもしなかった衝動や怯え、残酷さ、純粋さ、愛情など様々な感情の存在を知る。
それらは戯曲を演じるなかで、少しずつ変化していき・・・。 <公演パンフレットより>
楽しみ半分、不安半分だったこの『R&J』。なかなか都合がつかず、楽直前になってやっと観劇できました。
楽しみな理由は浦井健治くんを久しぶりに見る事ができるからで、
不安な理由はこれが浦井くんにとって初めてのストレートプレイだということ。しかも海外の演出家だし。
舞台の上には5,6メートル四方位?の段が置かれ、その上に椅子が2脚と腰掛のような台がひとつ。
その段は舞台の中の"舞台"という意味も持っていたのでしょうか、
戯曲を演じている生徒が段に立ち、観ている生徒が段から降りていたのがちょっと視覚的に面白いかと。
(段の外に座って、そこから段の上の芝居をにこにこと眺めている浦井くんが可愛くって可愛くって!)
照明も余計な色使いを用いずに至ってシンプル、海外スタッフならではのスタッフワークスですね。カッコイイ!
そして小道具として学校のノート、ロミオとジュリエットの戯曲本、赤い長い布1枚。
この赤い布が、時にドレスになり剣となり毒薬となり・・・
誰なりの死の場面で赤い布を引きながら「シュッ!」と言うのが気に入りませんでしたが(笑)、
こういう小道具の用い方は好き。
服装は全幕を通して学生服。
シャツ、ネクタイと濃い灰色のスラックスにベスト…これもまた演出に大きな意味を持っています。
髪型は4人とも黒髪(暗い茶?)のストレートで、
佐藤くんは短かったですが、他の3人は前髪も眉にかかる位という徹底振り。
カソリック系の学校のスタンダードな制服ともいえるこの風貌、規律の厳しい学校・寮の象徴とも言えます。
細かい場面は忘れてしまいましたが、幕の途中、いよいよ4人の熱が高まってくると、
彼らは今まで黙って受けていた抑圧を振り切るようにベストとネクタイを脱いで床に叩き付けます。
そして、初めにロミジュリの戯曲が隠されていた隠し戸の中に仕舞い込んでしまう。
観客は「あーあ」と思わされる。ついに4人のタカが外れてしまったことの具現化に思えるからです。
内容は、予想以上に面白かったです。
劇中劇に使われている『ロミジュリ』の台詞がどうも耳に馴染んだような・・・
と思ったら『R&J』の翻訳が松岡和子女史でした。
1幕ではどちらかというと生徒たちの奔放さが描かれます。
幕開け、学校の厳粛な様子を、まるで兵隊のように揃った4人の動きや息を詰める動作で表現したのは判り易い。
4人は禁じられている『ロミオとジュリエット』の戯曲に飛びつき、好奇心と興味を引かれます。
マキューシオの卑猥な台詞に反応してきゃっきゃとしてみたり、初めて触れるシェイクスピアの世界に一喜一憂。
戯曲を演じる途中にも、他の生徒をからかったり、くすくす笑ったり、微笑ましい場面すらありました。
2幕は『ロミジュリ』でロミオが追放された場面から。1幕とは少し様子が変わってきます。
1幕はまだ楽しげな場面も多く4人の表情も時に笑顔が混じっていましたが、
2幕からはラストの悲劇への加速が怒涛のように続きます。
4人の中の限界と言うかボーダーラインがちらちらと見え隠れして、観ていてとてもスリリング。
ある場面では本を手にした生徒が書かれた台詞に喉を詰まらせ本を突き返し、
また違う場面では信じられないと言ったように何度も何度も読み返します。
初めはただ面白がっていた感があった4人が、『ロミジュリ』を演じることに熱中するあまりだんだんと変化します。
途中から学生#1と#2は"ロミオ"と"ジュリエット"に影響され、まるで本当の恋人同士のように振舞ったり・・・
(バルコニーの場面ではわざと他の2人を眠らせてから演じたり、他の2人の妨害を無視して続けたり)
学生#1と#2が躊躇った(あれはただ単に羞恥を感じたからだとも思えますが)後に口付けをする、
それは"ロミオ"と"ジュリエット"としての演技ではあるけれど、同時に純粋に生徒2人の行為にも観えてしまう。
久しぶりに舞台のラブシーンでドキドキしてしまって、自分にびっくりです!
それにしてもこの4人が集まったのは良く出来た偶然というか必然と言うか。
とにかく浦井くんの"乳母"が絶妙で、それが観れただけでこの舞台観に来てよかったと本気で思うくらい。
贔屓目かもしれないけど、浦井くんが一番ナイスキャスティングだったと思います。
観る前は"乳母"に"バルサザール"、ちょっと、ぱっとしない配役だなあと正直思っていましたけど。
ティボルトも素敵でした。いままでに無い表情が見れました。憎しみを孕んだ勇ましい声と青年の目にドキリ。
直後佐藤くんの「乳母登場!」の掛け声で、一瞬で乳母の声と表情に変わる演技は巧いものでした。
あとは佐藤竜太くんのジュリエットっぷりにオドロキと感動。可愛らしい!
『お気に召すまま』で成宮寛貴くんがみせた初々しさある女役の演技とも、月川勇気さんの麗しいそれとも、
Studio Lifeで女形役者さんがみせる演技とも全く違った雰囲気・・・まず見た目が女性じゃないんだものね。
観客の目に訴えてくるのは、あくまで学生服を着た男子生徒がジュリエットを演じていること。
神聖さと表裏一体に醸し出される猥雑さ。そこに加わる佐藤くんの色香ったら・・・!
首藤さんも初のストレートプレイということでしたが健闘していました。
ただ前にも他の作品のエントリーでも書いたのですが、
今まで高い評価を受けていたものと違うジャンルへ挑戦することは大きなリスクを伴います。
それは実力云々の話ではなくて、ただ単にイメージの適不適だったり、
ファンの反応、飛び込むジャンルの観客の反応の話。
話題性としては十分ですが、野村萬歳さんの『ハムレット』にシェイクスピアファンが退屈してしまったり、
演技派シェイクスピア俳優を歌わせてみたら目も耳も当てられない結果になったとか・・・
芸術に対する許容や批評は個人個人のものなので、わたしがああだこうだと言い切ることはできません。
首藤さんは「舞台の上で台詞を言うことすら初めて」だったことを考えると、
とても真っ直ぐで真摯な演技を観せてくれたと思います。
あと個人的注目してたのが小林さん。
経歴を見る限り舞台経験が豊富で、さすが台詞・演技はしっかりしたものだったと思います。
でも4人入り乱れてると正直小林さんと首藤さんの見分けがつきませんでした。背の高さで見分けてた(笑
厳しいことをいうと、『ロミオとジュリエット』の戯曲を知っている人と知らない人では楽しめる深さが大分違うこと。
わたしは運良く松岡女史訳の『ロミジュリ』を年末年始に何度も観たり聞いたり読んだりしてたので、
『R&J』を観ていて次がどの台詞だとか今誰が誰の台詞を言っているのかとか自然と頭に浮かんでいました。
4人がみんな学生服を着ているために役柄を目で認識できない。
ティボルトが急に乳母になってみたり、ジュリエットがベンウォーリオになってみたり、物凄く目まぐるしいこの舞台、
『ロミオとジュリエット』の戯曲に触れたことのない人(ストーリーしか知らない人)にとっては
役柄を追うだけで手一杯になってしまいそうだと少し感じました。
そして1度観た限りではどうもラストが消化しきれない感が残ってしまってツライ;キレイなんだけど意図が・・・?
またキャピュレットがジュリエットを罵倒するシーンでは、暴力性を無理やり押し込んだようで不自然な感じすら。
そういった台詞を口にすることで気分が高揚し、あんな行為に出てしまったことを書きたかったのでしょうか。
あと、同じ松岡女史の台詞回しを使っているのでどうしても気になってしまった;;、ロミオ。
藤原くんのロミオの言い回しや演技が頭に残っているために、首藤さんのロミオが薄く観えてしまったのが残念。
もう少し時期がズレていたり、違う台詞回しならば気にならなかったのかもしれませんが・・・
でもいろいろなところで感想・批評を見ていると、首藤さんの演技に好評価も多いのでちょっとほっとします。
ぜひバレエステージでの首藤さんをいつか観に行きたいものです。
男子校という異性の排除された恋愛と無縁な環境に過ごす青少年たちが、
突然『ロミオとジュリエット』のようなドロドロの恋愛悲劇に出会えば起こりうるだろう、不可思議で危うげな現象を、
若さゆえの情熱とセンスでジョー氏は素晴らしい脚本に仕立ててくれたと思います。
ジョー氏はこの作品を「同性愛の話ではない、同性愛に目覚める恐怖を描いたものでもない」と仰ってますが、
いっそオスカー・ワイルドにこの話を書かせたらまた面白いことになったかもしれない、
とわたしは帰りにふと考えてしまったのでした。
by tiduru at : 2005年02月19日 23:20
| [舞台:ストレートプレイ]